映画
予想は覆された・・・NETFLIXオリジナル映画「ELI/イーライ」
なんとなく気になっていた、NETFLIXオリジナルホラー映画の「ELI/イーライ」。観てみたので、早速ネタバレ含む感想をあげていきます!
NETFLIXオリジナルホラー映画の「ELI/イーライ」。
NETFLIXオリジナルって、
ドラマも映画も本当に当たり外れ激しいので少々不安なのですが・・・
離脱することなく2時間観終わったので、
ネタバレ上等で語っていきます〜〜〜
あらすじを順番に紹介していきます。(緑字はゆとりの声です)
NETFLIX掲載の紹介文
自己免疫疾患に苦しむ11歳のイーライは、病気を何としても治したい両親に連れられて、実験的治療を受けるために、とある隔離クリニックにやって来る。

イーライの病気、治療の旅
物語は、7歳の男の子:イーライがいきなり病気を発症する回想から始まります。
急に咳き込んで倒れ、肌が真っ赤に変色・・・。
肌が焼けるようだと叫びをあげるイーライ。
そして、4年後の現在。
隔離施設に向かう道中のイーライと、父:ポール、母:ローズ。
イーライは、途中のホテルでもビニールハウスのようなものの中で隔離されています。
外に出るときは防護服を着用し、袖や裾はビニールテープで密封という厳重装備。
かなり治安の悪い地域に宿泊していたらしく、
ホテルから車に移動する際に柄の悪い大人たちにからかわれ、火薬を差し向けてきます。
それから逃れようと走るイーライですが、転んで防護服に穴が!!!!
外の空気が防護服の中に入ってきた瞬間に発作を起こし、
みるみるうちに肌が赤く染まるイーライ。
母は急いで防護服をビニールテープで塞ぎ、リラックスさせようと話しかけます。
「ゆっくり息してイーライ、ママを見て。思い出して、誕生日ケーキの匂い。あの匂いを吸い込むの。
ローソクを消して。さあ、吹き消して。
いいわ。願い事をして。何をお願いした?」
イーライを落ち着かせるためのいつものリラックス術なのでしょう。
ようやくイーライの発作は収まり、顔色もよくなりました。
落ち着いたイーライたちは、車で病院へ向かいます。
ゆとり「母親のこのシーンはすごく愛を感じるんですが、対照的に父親からは若干冷たいものを感じます。
乗り込んだ車がオンボロなので、「この車ポンコツだよ」とイーライが漏らすのですが、
それに対する父親の言葉は『ポンコツはお前だ』ですもん・・・。
親子の冗談だと父親は笑ってごまかすのですが、病気で苦しむ子供に対してなかなか辛辣です・・・
イーライをリラックスさせるのは母のみですし、
父は金のことを気にしてばかりなのも気になります・・・」
屋敷で治療を始めるイーライ
イーライたちは、霧を越えて、森の中の大きな屋敷に辿りつきます。
玄関の監視カメラの前に立っただけでドアが開き、スピーカー越しに医師からの挨拶が。
「外からの汚染を防ぐ厳重体制で屋敷内は守られているので
まずは除染室を通って屋敷の中に入るように」とスピーカー越しに指示を受け、
除染室を通ってたどり着いた部屋で待っていたのは、
にこやかな笑顔の女性3人。
ホーン医師と、看護師のバーバラとマリセラ。
ホーン医師に屋敷を案内されながら、
イーライと両親は屋敷や治療に関して説明を受けます。
説明内容をざっというと・・・
- 治療について・・・
イーライの症状は、体が厄介な免疫グロブリンを過剰に生産している状態から起こるもの。
(組み換え活性化遺伝子の異常)
エンコードしたウイルスを使用し、それを修復するのが治療の内容。
治療は三段階に分かれて行われる。
- 施設について・・・
治療のため、イーライと両親は別の部屋で寝る。
施設内は完全に除染されているので、防護服は脱いでも良い。(実際、大丈夫だった。)
一部、未浄化の部屋があるので入ってはダメ。空気は漏れないようになっているからこちらは大丈夫。
施設は病院でもあるが、ホーン医師たちの家でもある。
シャワーの水も浄化されているので、浴びても大丈夫(実際、大丈夫だった)
- ホーン医師について・・・
医者になって25年だが、この施設は3年前に始めた。
大勢を治療した実績あり。
「全員治った?」というイーライの質問に対して、
「全員治った」とは答えず、「心配ないわ。あなたを治してあげる」とはぐらかす。
ホーン医師の説明を一通り受けたイーライは防護服を脱ぎ、
久しぶりに母とハグできるようになります。
久々のシャワーも浴びることができました。
眠りにつくイーライですが、
一人でいるはずの部屋に人の気配を感じるようになります。
よく眠れず、翌朝医師に報告するものの取り合ってもらえず。
モヤモヤした気分のまま、治療の第一段階が始まります。
治療の内容は、なんか痛そう・・・
麻酔はされているんでしょうけど、
意識はある状態で背中を切り開かれて背骨にパンチで穴を開けられ・・・
朦朧としている状態で器具を眺めていると、
鏡状になった器具に、怪しげな人物が映っているのをみてしまうイーライ。
恐怖を感じるイーライですが、そのまま意識を失ってしまいます。
意識が戻ったイーライは、拘束具で治療台に固定されていました。
それを眺めているホーン医師と看護師2人。
体が熱く苦しくなっていき、医師に訴えますが、効いてきた証拠だと聞いてくれません。
悶え苦しむイーライ。
皮膚が赤く染まり、血管が浮き上がり・・・見るだけできついです。
そのまま、イーライは気を失ってしまい、気づくと拘束具を解かれ、点滴をされて一人で寝かされていました。
点滴を自力で外し、起き上がると、窓に何かを投げつけられる音が。
窓の外を確認すると、見知らぬ女の子が手を振っています。
興味を持ったイーライは、立ち入り禁止エリアだと言われていた場所を通って、
女の子とガラス越しに対面できる場所にたどり着きます。
ゆとり「この女の子、よく見たらNETFLIXドラマ:ストレンジャーシングスのマックス役の子やないけ!」
女の子:ヘンリーとイーライは意気投合します。
ヘンリーが火を起こすマジックを披露したり、イーライの身の上話をしたり・・・
ヘンリーを気に入ったイーライは屋敷の中に招待したがりますが、
ヘンリーは消極的。
ここの医師に嫌われているし、この家は何かおかしい。あの医師は信頼するな。そうヘンリーは言います。
何かがおかしい。屋敷、医師、治療内容・・・
完全に浄化された屋敷の中で、治療に専念するイーライですが、
屋敷も、医師も、治療内容も、何かがおかしい。
おかしいところ
- 屋敷
変な幽霊のようなものが出る。
次第にエスカレートするようになり、襲われるようになる。
- 医師・治療内容
苦痛を伴う治療なのに、一向によくなる気配がないどころか悪くなっていく
「全員治った?」というイーライの質問に対して、
「全員治った」とは答えず、「心配ないわ。あなたを治してあげる」とはぐらかす。
屋敷や医師・治療内容について不信感を訴えても、両親・医師共々取り合ってくれません。
そのまま、過酷な第二段階の治療を受けるも、状況は悪化していきます。
唯一、ヘンリーは親身に話を聞き、
またもや「前にも治療しているペリーっていう子と仲良くなったけど、その子は治療の第三段階で消息不明だ」と意味深なことを言います。
完全に医師を信じられなくなったイーライですが、またもや得体の知れないものの襲来を受けます。
見えない何かに、浄化されていない外の空気が入ってくる場所に無理やり締め出され、間一髪で医師により救出。
しかし医師を信じていないイーライは、「ペリーのことなんで黙ってたの?」と医師に詰め寄ります。
医師はまたもやはぐらかし、イーライの疑念は確信へと変わりました。
そして、幽霊のような何かが毎回文字等で「LIE」というメッセージを残していること、
イーライを屋敷から出そうとしていたことを思い出し、
実は幽霊のような何かは、イーライを傷つけようとしているのではなく、助けようとしているのでは・・・?と考え始めます。
屋敷の謎をつきとめるイーライ。そして・・・
何か証拠が欲しいイーライですが、暗証番号で入室制御された医師のオフィス部分には入れません。
そして幽霊のようなものが執拗に書き殴っていた「LIE」の文字が、ひっくり返すと317と読めることに気づきます。
医師たちが寝静まったであろう時間にオフィススペースの電子鍵暗証番号に317を入れると…ビンゴ。
医師のオフィスに忍び込み、今までの患者のカルテを発見します。
何人かの治療の経過写真を見ると、酷い有様でした。
どの子も酷くなっていくどころか、完全に死んでいる状態や、もはや人間とは呼べない姿のミイラになっている写真。
恐怖し屋敷から逃げ出そうとするイーライですが、医師や父親に捕らえられてしまいます。
母親は辛うじて医師たちに疑問の目を向けて割とイーライ側の味方ですが、父親は完全に医者の味方です。
イーライを捕らえた医師たちは、イーライを無理やり拘束し、第三段階の治療を強行しようとします。
イーライへの治療が強行されようとしているとき、母は偶然、これまで治療を受けていた子供たちの見るも無残な姿の遺体を発見し、我が子を救いたい一心で、医師にナイフを向けます。
しかし、完全に医師側の夫にあっさりナイフを渡してしまい、イーライへの治療が続行される羽目に。
治療といいますが、そこからは完全にキリスト教の宗教儀式でした。
実は医師や看護師はキリスト教のシスターで、
第一段階・第二段階の治療は辛うじて遺伝子治療ではあったものの、
第三段階の治療は子供に取り付いた悪魔ごと子供を殺し、悪魔から魂を守るというもの。
ゆとり「やべええええカルトかよ!!!そう来たかー」
聖水と呼ばれるものをイーライの体に振りかけると、ジュワーっという音と共にイーライの肌は赤く染まります。
ゆとり「聖水・・・・・・?それ聖水???酸じゃないの???もうやめてええええ」
悶え苦しむイーライに、医師もといシスターはナイフを突き立てようとします。
イーライ、覚醒。イーライの正体は・・・
その瞬間…
ナイフはイーライの体寸前で止まりました。
そのナイフを止めたのは、他でもないイーライ自身(の超能力)。
超能力でナイフを持つ医師の手を操り、そのまま医師自身にナイフを突き立ててしまいます。
イーライを制圧しようと看護師もといシスターたちが薬の入った注射器を持って近寄りますが、注射器を念力で易々と破壊。
もう、イーライの顔は完全に悪魔になっていました。
逃げ出そうとする医師・看護師2人を念力で宙吊りにし、怒り狂った声で「お前らは僕の身体に何を入れた!」と叫びます。
母親が言うには、「聖水よ・・・ただの聖水・・・」とのこと。
だとすると、ただの聖水にあそこまで反応するイーライは何なのでしょうか?
「僕は何者なんだ?」とイーライは母親に詰め寄ります。
もはや、医師や看護師は宙吊りにされて恐怖に悶えているだけの人です。
「私たちの子よ」と答える母親ですが、イーライは「嘘だ!」と激昂。
その瞬間、周りの看護師たちはイーライの能力で瞬時に炎に包まれます。
もう大体想像はつきますね、イーライはおそらく…
母親は、なかなか子供ができないことに悩んでいました。
夫だけでは母親の願いを叶えることができず、
神に祈りました。しかし叶えてくれず。
そして、母親は禁断の手段…悪魔に祈ったそうです。
イーライの実の父親は悪魔。
父親には似ないと約束したけど、結局嘘だったそうです。
悪魔はいつでも嘘をつくものですね。
なんとなく、父:ポールがイーライに対してあまり愛情を持ってなさそうな様子に合点がいきました。
ポールの子ではなく、悪魔の子だったのですから。
母と話すイーライを、背後から攻撃しようとするポールですが、イーライに念力で顔を破裂させられ、あっさり死んでしまいます。
生き残ったのは、母親のみ。
恐怖に怯える母親に近寄り、どうしたもんかと母親の顔を覗き見るイーライ。
イーライは「どうしてもあなたがほしかったの。ママを許して・・・」と泣く母親の頬に手を触れ、
その手で、母親の首にかかった十字架のペンダントを引きちぎります。
すっかり悪魔になったイーライは屋敷を焼き払いながら、怯える母親を連れて外に出ます。
生身の体で外に出たのは何年振りか。
外の空気に触れた瞬間、イーライの顔は普通の子供に戻っていました。
「来たね、待ってたよ」と、イーライたちに外から声をかけてきたのは、どっからか持ってきた車に寄りかかったヘンリーでした。
彼女もまた、イーライと同じ悪魔の子。
父:悪魔の子育ての方針は「自立が大事」とのことで、お互い助けない決まりだったようです。
結局、イーライとヘンリーは母親を信用することになり、
運転手として連れていくことにしました。
行き先は、父である悪魔のいる場所。
恐怖でパニクって車のエンジンがかけられない母親に、
イーライは無表情で語りかけます。
「ママ、息して。深呼吸。ふかーく吸って。ローソクを吹き消すんだ。願い事をして。」
覚えていますでしょうか?これはこの映画の最初、母親がイーライのパニックを抑えようとしていた、リラックスの手法。二人の立場が完全に逆転してしまったことを表していますね。
イーライ、ヘンリー、母親を乗せた車が悪魔のいる場所に向けて走り出したところで、エンディング。
感想
最初は、「怪しげな治療をするマッドドクターの屋敷から脱出するために子供が頑張る話かなあ」と思っていました。
ところがどっこい、イーライが悪魔の子供だったんですね・・・。
どんでん返しなんでしょうけど、全てが唐突すぎてどんでん返しって感じがあまりなかったですね。
悪魔化したイーライが母親に詰め寄るシーンで、宙吊りにされた医師看護師もといシスターたちが周りをぐるぐる回ってるシーンは、なんかシュールで少し笑ってしまいました。
いきなり炎上して悲痛な叫び声をあげているシーンはちとキツかったですが・・・。
映画としては私は割と好きでした。
このくらいのレベルの映画がNETFLIXのスタンダードになったら、毎日退屈しないんだろうなあ〜
【ネタバレ注意】映画「CODA あいのうた」感想〜音のない世界の住民との距離感〜
現在上映中のアメリカ映画「CODA あいのうた」の感想です。
理解のあまりない立場で色々話してしまうことになるため、誤解や偏見が入り混じってしまっている可能性があります。
気をつけて書いているつもりですが、不快に思われた方がいれば申し訳ありません。

映画の概要:娘以外の3人が聾唖の家族。娘は音楽の夢を持ってしまう
タイトルの「CODA(コーダ)」は、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」のこと。引用元:「コーダ あいのうた : 作品情報 - 映画.com」
父、母、兄、妹の4人家族が中心で映画は進みます。
主人公は、妹のルビー。
ルビー以外は、全員が聾唖(聴覚障がい者)です。
聴覚障がい者にも色々な段階があるらしく、
私が小学生の頃クラスメイトにいた聴覚障がいの友達は「ぼんやり聴こえる」とのことでしたが、
この家族については、後ろで怒鳴っても気づかないレベルに「何も聴こえない」ようです。
父・兄・ルビーの3人で毎朝午前3時から漁船に乗って漁に出るのが家族の仕事。
漁船が受信した無線を取るのも、海上保安官からの注意に応じるのも、港で卸業者とのやり取りや価格交渉をおこなうのも、全部健聴者であるルビーの仕事。
兄は、妹に依存せざるを得ない現状を不満に思っており、ヘソを曲げたり健聴者と同じように振る舞おうとしてうまく行かずにトラブルになったり、常にイラついています。
父や母はルビーに頼りきり。
医者の付き添いもさせ、「インキンタムシだから薬を塗って、しばらく夫婦のセックスは控えてください」みたいな医者の指示もなんの抵抗もなく通訳させます。
常に家族の面倒と漁、そして学生生活に疲れているルビーですが、「これが私の人生なんだ」と半ば納得・諦めのような感情を持っているようでした。
そんなある日、気になる男の子と同じ選択クラスに入りたいがために合唱クラスを選択したルビーですが、
それをキッカケに、担当教師から音楽の才能を見出され、自身も音楽の魅力に取り憑かれていきます。
教師から「音楽の大学へ進学すべきだ。学費も出るし、俺もサポートする」と口説かれ、その気になるルビーですが、
音楽がどんなものかわからない両親は彼女の夢を理解できないし、「残された私たちはどうするの」と、彼女の夢より現状維持を望んでしまいます。
兄はそんな状況に苛立ってばかり。
家族を憎んでしまい、衝突してしまうルビー。
一度ルビーが漁に出るのをボイコットして兄と父・監査員のみで漁にでた時、運悪く海上保安官の取り締まりに遭い、健聴者なしで船に乗ることを固く禁じられ、更に家族にとってルビーは必要不可欠な存在になってしまいます。
ルビーは夢を諦めて家族とこれからも生活や仕事を共にすることを受け入れますが、合唱発表会にてルビーの歌に感動する観客を見た家族の感情に変化が生まれます。
・・・というお話。
ざっくりほぼ全部話してしまいました。
映画の特徴①基本、下ネタが多い
音が聴こえないからこそ自分たちの出す音にも無頓着な両親が、娘の隣の部屋ででかい音を出して愛し合ったり、
オナラをスカしっ屁にする発想がなく、でかい音を出してオナラをしたり、
ルビーの友達が、兄を気に入ったため手話でアプローチをしたがった際に、「ヘルペス持ち」という意味の手話を口説き手話として教えたり。
そんな、「あるある(?)」ネタがクスッと笑えます。
映画の特徴②聴覚障がい者の役は本当に聴覚障害者の俳優が演じる。故に物凄い
故に、手話がバリバリネイティブで、迷いがない。
なので、全然手話がわからない私たちにもスッと入ってきます。
これを見ると、日本の映画やドラマで見る手話ってたどたどしいなあ・・・と感じます。ほぼ健聴者が演じている場合が多いですから仕方ないですが・・・
この映画で、「手話に感情を載せる」という技を初めて見ました。
手話越しに溢れんばかりの感情が伝わってくるのです。
関連トピック: 妹に手話で「怒鳴る」兄の演技が物凄い
この映画の印象深いシーン
妹に手話で「怒鳴る」兄の演技が物凄い(この映画で一番凄かった)
兄はこのままじゃいけないと分かっており、同時に、自分ではどうしようもない現状に絶望しています。
このままルビーが妥協をして家族を優先してしまえば、今後更なる試練が訪れることも分かっています。それでもどうしようもない。
そんなやりきれない思いをルビーに対して兄がぶつけるシーンがあるのですが、
本当に、全身で怒り・悲しみ・絶望・その他膨大な感情を表現していて、本当にすごかったです。
大きな音を出すわけでもなく画面には静寂が流れているのですが、
絶叫されているような衝撃がありました。
手話で話しているのに、怒鳴られているような感覚。
手話で「怒鳴る」という新しい表現方法は初めてで、このシーンは一番印象に残りました。
合唱発表会を聴覚障がい者の視点で観るシーン。この瞬間、映画の主人公は娘→父親に代わる
最初の大勢の合唱シーンは、音が聴こえない家族の集中力は散々。
家族同士で手話で会話して、ボタンが外れかけて気になるだの、壇上から遠く唇も読めないから司会者が何を言っているのかわからないだの、ほぼ関心なしなのが伝わってきます。
しかし、次のシーンで一気に雰囲気が変わります。
ルビーとボーイフレンドのみでのデュエット曲目が始まった瞬間、壇上では歌声が響いているはずなのに、いきなり映画全体が無音になります。
そして、父親の視点になります。
聴覚障がい者の見る世界っていうのは、我々は映画を見る中で十分想像できていたはずですが、
壇上で歌っているはずなのに静寂が流れているというシーンで、思った以上に聴覚障がいのある人にとっての歌というものを思い知らされます。
口がぱくぱく動いているだけ。何も聴こえない。そりゃ、娘が音楽の夢を持っても理解するのは難しいよなあという感じでした。
しかし、集中できないが故に、父親の目は観客に向かいます。
うっとりと聞き惚れる客、思わず涙を流す客、スタンディングオベーションで感動を示す客・・・。娘の歌は聴こえない。でも、娘の歌声が人の心を動かしていることは、ハッキリと感じることができたのです。
このシーンから、ほぼルビー一人の視点で進行していた映画だったのに、父親の視点が加わります。
個人的な考察ですが、このシーンから主人公は父親になったのではないかと思います。
発表会後家に帰り、父親は娘に「俺のために歌ってくれ」とお願いします。
普通に歌っても歌声は届かないため、娘の顔に触れて大声で歌ってもらうことで、振動や表情から懸命に歌を感じようとする父親。
(映画最初の方のシーンで、若干伏線はありました。父親は車で爆音のラップソングを流すのが好き。ズンズン体に響くと、少し音楽を感じられるみたい)
懸命な双方の歩み寄りで娘の歌を感じることができた父親は、娘の夢を認めようと決心します。
家族に歌を「聴かせる」シーン。
家族の協力のもと、音楽大学の歌唱試験で審査員の前で歌うところまで漕ぎ着けたルビー。
娘の歌の夢を理解することにした家族は、試験の会場に潜入して娘の歌を見守ることにします。
会場の隅にいる家族の姿を見たルビーは、歌いながら手話で歌詞を表現して、家族に歌を「聴かせる」ことに成功します。
私はこの映画を見るまで想像力が欠如しており、
予告編でルビーが手話で歌詞を表現しているシーンを見てこう思っていました。
「手話で歌詞表現してどうすんの?字幕で歌詞映したり、詩を書き起こして筆談するのとなにが違うの?」
それは、生まれつき聴覚障がいを持った人が「どのように世界を見ているのか」全く理解していなかったからだと思います。
(こっから先も、単なる個人の考察で、的外れかもしれません。ご了承ください)
音を聴いたことがない人が想像する音楽って、我々が思う以上に難しいものなのかもしれません。
まず、音に高低があることすらわからないかもしれない。
一人一人が発する声に個性があることすらわからないかもしれない。
声や音に、強弱や抑揚があることすらわからないかもしれない。
手をパンパンと叩いた時の音と、太鼓をドンと叩いた時の音の違いすら想像できないかもしれない。
そんな人々が考える音楽って、想像以上に掴めない謎の存在かもしれません。
単に歌詞を手話で表現するだけであれば、
ニュース番組のバリアフリー放送で、キャスターの横でおこなわれる手話とあまり変わりはないと思います。
しかし、ルビーの歌に沿った手話の動きは、メロディラインや抑揚や感情を表現することに成功しているように見えました。
生まれてからずっと、家族のために手話を自分の言葉として扱ってきたからこそできた表現だと思います。
兄がルビーに感情をぶつけた時に「手話で怒鳴る」という表現を私は感じましたが、
このシーンのルビーからは「手話で歌う」という表現を感じました。
振り返れば、小学生のころ、何かの取り組み(学習発表会かな?)で、合唱曲を手話つきで歌うということをしたことがあります。
教科書だかプリントだかに書いてある手の絵を手本に「この歌詞の時はこの手の動き」みたいな感じに練習して、本番までになんとか形になってはいたのですが、
この映画を見た後だと本当に形だけだったなあと実感しました。(仮に聴覚障がいの人がその出し物を見たときにどう感じるのかはわかりませんが)
まず歌詞を解釈して、自分の言葉で手話に変換して、そして受け手に向けて伝えるための表現を考えて、という過程を踏まないと、
本当の意味で、聴覚障がい者の人に歌を「聴かせる」ことは不可能だと個人的に思います。
小学生の私たちがやっていたことっていうのは、所詮「歌を説明する」ことに過ぎなかったんじゃないかなーと。
まあ、本当に手話をネイティブレベルに使える人にしかできない技だと思うので、小学生の出し物にそれを求めるのはお門違いだとは思いますが。
とにかく、家族に歌を「聴かせる」ことに成功したルビー。
大学に合格し、家族とも本当の意味で理解しあうことができたハッピーエンドでした。
ルビーが独り立ちしたあとの家族がどうなったのかはよくわかりませんが、うまくいきそうな雰囲気になっていたので、おそらく大丈夫でしょう。
まとめ
私は健聴者です。
この映画を語るにあたり、聴覚障がい者の方々がどのように世界を見ているのかをいろいろ考察する必要があり、
中には「偏見」と受け止められてしまったり、不快に思われてしまうような表現がないとも言えません。(気をつけて書いてはいます)
間違いや誤解を広めてしまうような記載があった場合、指摘していただけると幸いです。
映画の中盤で、母がルビーに対して本音を話すシーンがありました。
「あなたが生まれて、健聴者だと伝えられたとき、悲しかったの。理解し合えないと思ったから」
4人の中で唯一健聴者だったルビーはマイノリティーであり、他の3人からの疎外感を感じていましたが、
社会に目を向けるとルビーだけがマジョリティであるため、3人もルビーから逆に疎外感を感じていたのかもしれません。
この映画では、お互いがお互いの世界に対して歩み寄ることで、少しずつ理解し合うことができました。
家族や聴覚に限らず、これは世の中のさまざまなことに言えると思います。
現在はマイノリティを尊重する流れが加速しており、その分マジョリティからの反発も激しく、世の中は分断されつつあるように見えます。
お互いがお互いの立場を主張して理解を求めることもとても大事だと思います。でもそれは現実問題とても難しいです。
停滞した状況を解決するには、互いがこの映画のように理解するよう努力することがそれ以上に重要だと思います。
割と平凡な答えではありますが、忘れがちなことを教えてくれたこの映画にはとても感謝しています。